ハフリーヌの書棚

読書日記、短歌と愛蔵の品々

澁澤龍彦『黒魔術の手帖』とマロリー『アーサー王の死』

ヨーロッパ中世である。
それがどんな時代であったかというと、端的に言うのであれば、それはつまるところ、オリジナリティの否定された時代で有り、自己表現が抑圧された時代である。その時代が数百年続いた。
中世は精神が停滞した時代である。聖書だけが正しく、そこからはみ出したものは全てが異端であるという時代。人が人として、自由に物を考えられる時代は、ルネサンスまで待たねばならない。


さて、武士道と同じく、騎士道もまた失われて久しい。
その絶滅種に対する憧憬の念は、消えることなく今も残っており、「ヨーロッパ中世」というものは、どうやら人の心を鷲づかみするもののようで、多分に漏れずわたくしも虜になった時期がある。


中学1年生の冬休み、わたくしは5歳年長の従兄から2冊の本を借りた。
1つは澁澤龍彦『黒魔術の手帖』、もう1つはサー・トーマス・マロリー『アーサー王の死』。

黒魔術の手帖 (河出文庫 し 1-5 澁澤龍彦コレクション)
黒魔術の手帖 (河出文庫 し 1-5 澁澤龍彦コレクション)
河出書房新社
アーサー王の死 (ちくま文庫―中世文学集)
アーサー王の死 (ちくま文庫―中世文学集)
筑摩書房

この2冊の本が、わたくしにとっての「中世」の方向性を定めたといえる。
すなわち、神秘思想とロマンティシズム。


『黒魔術の手帖』の初版は昭和36年。
箱も表紙も黒、天・地・小口の三方も全て黒で装幀されたこの反時代的な本を、三島由紀夫は一読「殺し屋的ダンディズムの本」と評した。
「反時代的」と言ってはみたものの、その当時、世は60年安保。学生たちが百鬼夜行する妖怪絵巻の時代でもあった。


内容であるが、目次を書き出してみよう。


 序文
 ヤコブスの豚
 カバラ的宇宙
 薔薇十字の象徴
 夜行妖鬼篇
 古代カルタの謎
 サバト幻景
 黒ミサ玄義
 自然魔法もろもろ
 星位と予言
 ホムンクルス誕生
 蝋人形の呪い
 聖女と青髯男爵
 水銀伝説の城
 地獄譜
 幼児殺戮者


最後の4章は全て、ジル・ド・レについて語っている。
いま眺めてもワクワクするような字面が並んでおり、本書における澁澤龍彦の語り口は、どこか講談師風の口上を思わせる。
西洋魔術について、この本は最良の入門書である。


たしかに現在、西洋オカルティズムについて、この本よりも詳しい書物が多く出版されているし、実際そのことは、文庫版のあとがきで澁澤自身も触れている。
しかし、書かれた当時のあの時代にはあって、現代では失われてしまっているものが、この本には充ち満ちている。それは何か?
それはキザなまでの知的ダンディズムである。
武士道や騎士道と同じく、ダンディズムとは思想ではない、生き方である。
初めて読む、触れたことのない西洋魔術の世界。そこに鏤められていたのは、澁澤特有の韜晦とペダントリー。中学1年生だったわたくしが、籠絡されるのも致し方ない。


そして同時並行で読み始めていたのが『アーサー王の死』。
こちらは世にも気高き騎士たちの物語であると同時に、魔術師や妖術使い、獰猛な巨人、湖の宝剣や聖杯、漁夫の王など、得たばかりの知識を補完するような内容で溢れていた。
アーサー王の生誕秘話、石の台座から剣を引き抜き王となり、湖の淑女からエクスカリバーを授かり、円卓の騎士たちと王国をまとめあげ、大陸に渡ってローマ皇帝となるも、国許の叛乱鎮圧の最中に深手を負い、アヴァロンの島へと去って行く…。
登場人物であるトリスタンやパーシヴァルの物語は、やがてワーグナーによって楽劇化される。

中世の歴史書やロマンスでは、アーサー王は6世紀初めにローマン・ケルトのブリトン人を率いてサクソン人の侵攻を撃退した人物とされる。一般にアーサー王物語として知られるものはそのほとんどが民間伝承や創作によるものであり、アーサー王が本当に実在したかについては現在も歴史家が議論を続けている。最初のアーサーの言及は9世紀のラテン語のテキストに見られる。『ブリトン人の歴史』と『カンブリア年代記』の記述を根拠に、アーサーは実在の人物で、5世紀後半から6世紀初めにアングロサクソン人と戦ったローマン・ケルトの指導者だったとする説がある。


魔術師マーリンペリノア王の2人は、登場回数がさほどあるわけではないが、特に気に入っている登場人物である。


ペリノア王は「不思議なけもの(唸るけもの)」を探究する騎士であり、その強さはアーサー王の剣を折り敗北寸前にまで追い詰めるほどに豪勇であり、王を殺す直前にマーリンの魔法で眠らされてしまう。「探究」のモチーフは、アーサー王伝説の中で幾度となく語られるテーマである。


マーリンは西洋の魔術師の象徴のような人物であり、ウェールズの人であるという。アーサー王に、いくつかの重要な忠告をしている。「エクスカリバーは、剣よりも鞘に価値がある」「王は将来名誉ある死を遂げる」、翻って自分については「私は生きながら地中に埋められるという、不名誉な死を得る」とも語る。


探究の旅に出る騎士、それを手助けする(もしくは妨害する)魔術師、森の中の安全地帯である隠者の庵。『アーサー王の死』は、中世において神秘思想がどのように人々に理解されていたかを知ることが出来るテクストである。


     *


『黒魔術の手帖』では、黄眠道人・日夏耿之介の詩が引用されている。


  夏の夕には パラケルスス方士のごとく
  短剣に妖鬼を匿し 巷巷に 学匠の憤怒を駆った


パラケルススこと、フィリップス・アウレオールス・テオフラストゥス・ボンバストゥス・フォン・ホーエンハイムは16世紀の人。スイスで生まれ、オーストリアで死んだとされている。
彼はまた、マーリンとは別系統の、もうひとつの魔術師のイメージ原型である。


「(パラケルススは)単に医者としてヨーロッパ中に名声をかち得たばかりでなく、占星術士としても、魔法道士としても、神秘哲学者としても、また神学者としても、おどろくべき厖大な量の著作を残しているので、まず古今のオカルティストのなかでは、最も複雑怪奇、興味津々たる人物ということができる」(「ホムンクルス誕生」)


ここに表されている姿は、マーリンのような魔法使いではない。そこから見えてくるのは医師であり、科学者であり、彼はまた錬金術師としても歴史に知られている。
論敵たちは、彼の知識の源泉が「短剣に匿された妖鬼」の力であると喧伝し、また論駁されるがゆえに「巷巷に学匠の憤怒を駆った」訳である。


冒頭に述べたように、ヨーロッパ中世は停滞の時代である。ギリシャ・ローマのころの古代の叡智は封印され、聖書だけが正しいという教会権威が支配した時代である。


マーリンは古代の賢者を思わせる姿であり、キリスト教的君主(アーサー王)を手助けするがゆえに異端を免れている。


パラケルススは知の探究者であり、当代きっての知識人であり、学者として最高権威であり、つまりは魔道士教皇シルウェステル2世や、機械人形を作ったと噂されるアルベルトゥス・マグヌスの末裔であると言えよう。


そして叡智を操る技術は、黒でも白でもなく、常にニュートラルである。